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六足門

華光寺について

「出水の毘沙門さま」の通称で古くから京都の人々に親しまれてきた日蓮宗の寺院。正式には蓮金山 華光寺と称します。

天正11年(1583)、豊臣秀吉公の外護を受け、顕彰院日堯上人(日蓮宗 大本山 妙顕寺 第12世)の隠居所として寺町通今出川の地に創建されたのが始まりとされ、寛文3年(1663)に現在の出水の地に移転しました。創建以来、武家の菩提寺として栄え、最盛期には本堂、方丈、書院、三層楼、番神堂、歳徳堂、明神堂、鐘楼などの諸堂の他、境内には本妙院、法宣院、唯心院などの塔頭4院を擁し、京都二十一ヵ本山に準じられたほどでした。

御本尊

​御本尊

宗祖日蓮聖人奠定の「十界曼荼羅」をはじめ、十界曼荼羅の世界を形像化した一塔両尊四士(釈迦如来像、多宝如来像、四菩薩像)、四天王像などを安置しています。

御本尊
梵鐘
梵鐘

​梵鐘

境内にある梵鐘には「正応元年(1288)10月18日庚午 鋳工 橘則弘」の銘文があり、鎌倉時代後期の作と言われています。昭和58年に京都府文化財に指定されました。

ゆかりの人々

ゆかりの人々

当山は、秀吉公の庇護を受け創建されました。「出水の毘沙門さま」の由来となった毘沙門天像は秀吉公が伏見城でお祀りしていた像を寄進したと言われており、同じく山門も伏見城から移築したと伝えられています。また、すでに枯死しておりますが、かつて境内には秀吉公お手植えの「時雨松」や「五色椿」が植えられておりました。当山開山日堯上人は秀吉公の縁戚であったという説もあります。

池波正太郎の時代小説「鬼平犯科帳」の主人公「鬼の平蔵」として有名な長谷川平蔵宣以。その父である長谷川平蔵宣雄の葬儀を執り行ったとされ、葬儀記録が保存されています(非公開)。

その他、幕幕末の絵師・宇喜多一蕙や山稜研究家・平塚飄斎、加藤清正の累代子孫一族の墓碑があります。

出水の毘沙門さま 蓮金山華光寺 (受付10:00~16:30)

​〒602-8359 京都市上京区出水通六軒町西入七番町331

TEL:075-841-5807 E-mail:kekoji.inf@gmail.com

写真:      柴田  明蘭

写真/動画:  Miho Ishida

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